技術立国日本

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 少し前の事になるが、宮城県上高森遺跡で約60万年前の旧石器時代の地層から石器が発見された。
 当時日本最古の石器の発見として多少話題にはなったが、取り立ててそれ以上に騒がれる事は無かった。 不思議でならない!

 何故なら、石器の古さもさる事ながら、その発見状況がまさに驚異なのである。 現在では石器埋納遺構と言う名で紹介されているが、単に石器が埋設されていただけではなく、明らかに何らかの意図をもって色の違う石器が規則正しく並べられていたのだ。 さらにその色彩や構図には明確に芸術的意図が見られるのである。

 60万年前と言うのは、北京原人やジャワ原人で知られるホモエレクトスの時代だ。 現代人であるホモサピエンスが現れるのは、古く見積もっても約20万年前ごろである。 人類学の常識として芸術と言う抽象的な概念こそが現代人が始めて持ち得た特徴であるとされる。 しかし、この発見は、ホモエレクトスの非常に高度な精神性を示す発見なのだ。 さらに北京原人の石器は片刃のみ削っているのに対し、上高森の原人はしっかり両刃を削っている。

 今年(2000)に入って、秩父で世界最古の建造物の跡が発見された。 約50万年前の遺構だ。今まで最古の建造物跡とされたフランスのテラアマタ遺跡より10〜30万年も古い遺跡である。 これも上高森人と同時代のホモエレクトスの非常に高い技術力を示す一例である。

 鹿児島県指宿市からは、1万5000年前の旧石器時代の道路痕も発見されている。  これまでも旧石器時代の住居跡は出土しているが、道路跡が発見されたのは始めてだ。 最近、三内丸山遺跡などの発見により縄文時代が、移動生活から定住生活に書きかえられたばかりだが、道路状遺構の発見にり旧石器時代でも一定期間の定住を行い、集落が形成されていた可能性が示された。  又、一緒に発見された住居跡も縄文時代の竪穴住居に近い形態だったと見られる事からも定住生活を予想させる。

 そして、縄文時代! ご存知縄文土器の誕生である。 これもあまり知られていない事だが、縄文土器は世界最古の土器である。 青森県蟹田町から発見された土器片は16,500年前の物で、一般的な時代区分ではまだ旧石器時代に属する物である。
 これがどれほど古い物かといえば、世界最古の文明が誕生したとされるメソポタミアでも、土器が使われ始めたのは、せいぜい10,000年をさかのぼらない事から想像がつくだろう。

 近代に入りついに日本は、工業製品で世界を席巻し始める。 日本を代表する輸出品の1つに車があるが、なんと明治時代から車は日本の主要な輸出工業品であった。 もちろんこの時代の車にはエンジンは付いていない。 車は車でもいわゆる人力車だ。 現在でもアフリカ諸国で当時の人力車が使用されているらしい。

 なんと日本には、古くから高度技術が存在した事か! あまり世界から注目されないのが全く不思議である。    

INN特派員:ハンニバル43世 2000年5月21日

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